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リアルで算盤尽くであけすけだから、いい - 『コスパで考える学歴攻略法』藤沢数希

息子が小学4年生と娘が小学3年生なので、近いうちにある決断をしなければならないのだが、周囲に相談する相手がおらず、どうしたものかと夫婦で少し途方に暮れていた。

中学受験をするか否か、それが問題だ。


我が家が中学受験を意識し始めたのにはいくつか理由がある。例えば俺が小学1年生の時に習い、その後の40年で一度も使わなかった「デシリットル」を、今も教えていることに驚いたり。新型コロナが発生して半年以上、まともなオンライン授業が提供されなかったり。全校生徒に配布されたクソ重たいタブレットのお粗末な運用に子供が四苦八苦している様子を目の当たりにしたり……。


通っている公立小学校の先生に相談するわけにもいかないし、うちの学校はなぜか中学受験組が毎年数名しかいないし、塾に相談するのはウォーレン・バフェットが言うところの「髪を切ることが必要なのかを床屋に聞いてはダメだ」だし。

と思っていたら、Twitterでフォローしている藤沢数希氏が我が家に向けての本を出してくれた。とてもよい意味でミもフタもない学歴本。



「子供にとって少しでもよい環境を」「学歴も大事だけど子供の無限の可能性を伸ばしてあげたい」などといった美辞麗句は書かれていない。どこまでもリアルで算盤尽くであけすけ。だが、それがいい。以下、膝を打った部分をいつくかメモとして。

一言でいえば、日本の大学入試はある種の科挙であり、卒業大学の格が「身分」と言っても良いほどのものなのだ。

(36ページ)

現実問題として、日本の教育産業というものは、高校間や塾間で大学進学実績を競い合うと言う知的競技のために出来上がっており、日本で子供を育てる場合、良くも悪くも、こうした教育インフラを上手く使っていく以外の選択肢はほとんどない。

(42ページ)

大学進学実績で最も重要な指標はなんであろうか。それは、東大合格者数だ。日本の教育(少なくとも進学校では)を一言で語るならば、高校別に東大の合格者数を競い合うeスポーツなのだ。

(44ページ)

競争がないところは淀んでいく。日本の高校までの教育は、教育サービスを提供する学校にもそうした教育サービスを受ける生徒にも厳しい競争があり、それゆえに高いレベルが保たれているが、残念ながら大学間にはあまり競争がなく、それゆえに日本の大学教育は停滞していると言わざるをえない。

(67ページ)

このように、ほとんどの人にとって学校のカリキュラムとは、入試という点数を競い合う「競技」において、出題範囲を決めるためのルールブックぐらいの意味しかない。

(75ページ)

入試問題を作る有名中学、そして、その対抗戦略を策定していく中学受験塾の間で長年にわたり軍拡競争が繰り広げられた結果、中学受験算数という高度な知的パズルの一大分野が出来上がってしまった。このパズルである程度の得点を取れないと、日本の一流中学への門戸は決して開かれない。

(117・118ページ)


子供の英語学習についても、以下で言い尽くされている。

日本人の子供が英語をできるようにするにはどうしたら良いのだろうか。小学校高学年から中学校ぐらいのときに英語が母国語の国の学校に留学させて帰国子女にすればいい。以上である。

(171ページ)


本書は次に妻に読んでもらう予定。以下の一文を妻が読んで、俺同様に勇気がわいてワクワクするのであれば、家族4人で中学受験に挑戦してみるのは、きっといいことだと思う。

逆に言えば、親と子がこれほど真剣に同じゴールに向かって共に取り組めるものはない。これは誇張でも何でもなく、現代社会でふつうに生きていれば、親子がひとつのチームとなり、一致団結して必死に取り組めるものといったら、中学受験以外にないのである。

(138・139ページ)


いっちょ、頑張ってみようや。

【目次】
まえがき
第1章 たかが学歴 されど学歴
第2章 日本の高校までの教育レベルは高い
第3章 学校のカリキュラムは何を目的に作られているのか
第4章 中学受験はダービースタリオンだ
第5章 格安の公立中学からの高校受験ルートで学歴獲得競争に勝つ
第6章 日本の教育に足りないものを家庭で補う
あとがき