息子との娘の小学校で、PTAの役員やいわゆる「おやじの会」的なものに所属して活動していると、普段の仕事ではなかなか得難いようなご縁に恵まれることが多く、楽しい。
そんなご縁のひとつなのだが、「おやじの会」で一緒に活動している方の奥さんで、あびこかおりさんという方おられ、何度かBBQで一緒になったりしていたのだが、そのかおりさんがこの度、Kindleで本を上梓されたということで、購入して読んでみた。
タイトルは『不登校はチャンスです: とっとと開きなおりなさい!』。ご本人から話は聞いていたし、著書でも書かれているので、ここでもざっくりと説明するが、小学校5年生と4年生の兄妹がいて、お姉ちゃんが完全な不登校。
本書では、主に発達障害(不注意を伴う自閉スペクトラム症)と診断された娘の幼少期からの違和感、親子関係の崩壊、そこからの親子の絆の再構築を経て、今に至る過程で私が感じたことや娘の変化を書いています。
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これは、母と娘が悪戦苦闘しながら「受容」へと至った物語。
どの家族にもそれぞれに物語はあり、おそらくそれはどれもドラマチックなものなのだろうが、家族ぐるみでBBQで爆笑しながら肉を食ったり、うちの息子と不登校の娘さんが歴史の話で意外に気があったりしたりする中で、物語として本人が綴ったものを読むという経験は、なかなか得難いものだった。
特に宿題に関しては、1年生のときから娘が言い続けていたことがあります。「この漢字を書けるのに何で、何回も練習せんといかんと?」 をずっと娘は主張していたのです。
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また2年生に学年が上がり、筆算の宿題が出ました。 「なんで、答えがわかっているのに、わざわざ筆算で書かないかんと?」
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この問いに、ちゃんと応える準備ができているかを、一度夫婦で考えることは、とても大事なことだと思う。この問いの答えを学校教師に求めるのは酷だし、親としてちょっと怠惰。先生方は、忙しい。「宿題だから」「みんなやってるから」で我が子が納得するなら、それはそれでいいのだが、我が子が納得してくれないときには、どう応えるべきなのか。
子供の「学校に行きたくない」は、ただの気まぐれやサボりたい気持ちからの時もあるが、そうではない、のっぴきならない「学校に行きたくない」を見極めて、その原因を探っていくのは、本当に難しいと思う。生活があり、仕事があり、世間の目があり、家族の目がある。四の五の言わずにランドセルを背負って学校に行ってくれるのが、一番「楽」なのだから。
娘が早く「生きるのがキツイ!」とSOSを出してくれたことに「ありがとう」の気持ちでいっぱいです。
(位置: 788)
娘が小学2年生の時点で「学校に行かない」選択をしてくれたおかげで、私は子育てに立ち止まることもできたし、子どもに向き合うこともできたし、考えることも出来ました。
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かおりさんは「障害」を以下のように定義する。
「『障害』は、そのお子さんの個性を受け入れる体制が整っていない学校や社会という環境に『障害』があるという意味です。
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正直な話、小中学校の公教育に、この「障害」を矯正しろというのは、少し酷ではあると思う。なんせ、全国の小中学生のうち、不登校を選択しているのは約20万人。一番近いデータでイメージすると、広島県東広島市と同じ人数の不登校児・生徒がいるわけで、今までの延長線上でこの20万人に対応しようとすると、うまくいくわけがないのは明らか。
文部科学省の最新の調査によると、2020年度の全国の小中学校における不登校児童・生徒は19万6127人。8年連続で増加していて、過去最多だった。
(FNNプライムオンラインより)
この20万人の選択が、本人や親にとってはもちろんだが、学校や社会にとっても、特別なものでなくなるまでは、「障害」は残り続けるのだろう。障害を取り除くためには、まず認識して理解する必要がある。もしかしたら現在進行形かもしれない七転八倒の悪戦苦闘の日々を、どろどろやぐちゃぐちゃも経て流した涙で書かれた、それでも朗らかな筆致の本書は、不登校児とその家族への認識と理解のよすがとしては、素晴らしいものだった。
また、一緒に遊びましょう。