文芸評論家の福田和也の文章が好きなのだが、『週刊SPA!』で1998年から4年にわたって掲載されていたエッセイ『罰あたりパラダイス』は、連載をリアルタイムでも読んでいたし、完全版として発行された単行本を、今でも定期的に読み返している。
約20年前の時評として、バブル崩壊からインターネットの誕生、コギャル文化から9.11同時多発テロまで、縦横無尽に語られており、その語り口も、聖と俗の両極端をいったりきたりで、読んでいてクラクラする。
卒業後の無職が確定していた大学4年生の時に、ふと手にした『週刊SPA!』で以下のエッセイに出会った。川島なお美に似ているニューハーフを呼んでワインを飲む、という正気の沙汰ではない回。
しかしまぁ、何だよ、エ、何か新鮮だねぇ、こりゃ。うん。ソムリエのお兄さん、ワイン・リストもってきて。何だかスゴイねこりゃ、逸品揃いだ、結構な品揃えで、どうしようか、目移りしちゃうね、こりゃ、やっぱりねこういう時勢だから、いい奴にしよう、いい奴に。ムートンね、ムートン・ロトシールドの89年、決めました。これをね、スグに抜栓して、デキャンタしてね、お、いいねどうも、このグラスは、大振りで、リーデル? エスプリ・ド・ヴァンだって。憎いね、お兄さん、素人じゃないねって当たり前だ、ソムリエだもんな。しかし、これはなかなかないよ、こんなグラスで呑ませようって店は、洗うのが大変なんだよ、こういうのはね、解る? 瞳ちゃん、ほら、こういう風にね、指紋一つ、糸屑どころか繊維のかけらもついてないようにね、ピカピカに洗って仕上げるのが大変なのよ、なかなか商売じゃあね、使わない、いい心意気だよ、おっと、デキャンタージュしてるよ、粋だねぇ、こうじゃないと、こう片手でね、グッと瓶を把んで、細からず、太からず、柳の枝位の細さで移していく。ほれぼれするねぇ、おい。これはね、瞳ちゃん、ムートン・ロトシールドっていって、ロスチャイルド家がもってる畑なんだけど、ラベルの上に絵が描いてあるでしょ、これ毎年、世界中の有名な画家に注文して描かせるんだけどね、89年はキース・ヘリングだね、エイズで死んだ。瞳ちゃんは大丈夫かな? うん、あァいい、いいなぁ、やっぱりね、このブーケが……。
「あんた、ただのバカですね。」
「うるせぇ、人が折角初心に帰っているのに。」
「初心てあんたの、ワインの初心は、ヒヒ爺ですか。」
(45ページ「カラダに優しい葡萄の香りだと?ワインの醍醐味は反社会的な快楽だよ」より)
これを読んで打ちのめされて、この連載をリアルタイムで追いかけることによって、大学卒業後5年間の京都での無職徘徊生活を充実したものにすることができた。
食って飲んで読んで書いての全てを高いレベルの「まくる」でこなしていた著者自身が、心身の均衡を崩してしまい、飯が食えなくなり、それにともなって文章が書けなくなってしまったのは、俺としては痛恨事だったのだが、それでもこの『罰あたりパラダイス』という偉業の輝きが減ずることはない。ただ、『福田和也コレクション』の残り2冊はなんとか刊行してくれ。
読み返すたびに「もっと遊ばねばならぬ、森羅万象を遊びとせねばならぬ」と背筋が伸びる。