久しぶりにすごい本を読んだ。
脳は完全に機能したまま、眼球以外の肉体の自由を徐々に失い、最終的には自分の体に閉じ込められてしまう難病「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」を患ったロボット工学の専門家でもある著者が、テクノロジーと勇気と愛で、自身の人間としての存在をアップデートしていく物語。
ALSを含めて、総称として「運動ニューロン病(MND)」と呼ばれるので、以下、MNDと表記。
MND(あるいはALS)は数年前にバズった「アイス・バケツ・チャレンジ」で初めて目にした人が多いかもしれない。あるいは、イギリスの理論物理学者であるスティーヴン・ホーキング博士の病気といった理解だったり。

従来だと、MNDと診断された患者は、なすすべなく悲劇的な病の進行に運命を委ねるしかなかったのだが、著者は人類の歴史を塗り替えるために、全力で先回りして立ち向かう。
”元の僕”、あるいは〈ピーター1.0〉の性質そのものが変化するということだ。”新しい僕”、つまり〈ピーター2.0〉とは、元の脳の大部分(基本的には動作を使っとっている部分なので、最終的には使い物にならなくなる)に、人工頭脳による拡張機能をたくさん追加したものだ。一方、僕の体そのものは、眼球を例外として、単に脳を動かすためだけに存在することになる
(185ページ)
排泄機能を失ってしまう前に、まだ健康な膀胱と結腸を切除して、膀胱ろうと結腸ろうを造設する。嚥下障害や誤嚥性肺炎を予防するために、胃ろう手術を行う。著者は、まだ健康なうちに、この3つを1回の手術でおこなう、前代未聞の「トリプルオストミー」を、医療界の暗黙のルールと戦いながら、敢行する。
体内の”改修工事”を行う、それが私の提案です
3つの手術がセットになっているんです。胃に直接栄養を送り込む”インプット”のチューブ。排尿用に膀胱につなぐ”アウトプット1号”のチューブ。排便用に結腸につなぐ”アウトプット2号”のチューブ。この3つを通すわけです
胃ろう、膀胱ろう、結腸ろうの造設を一気にやってしまうという事ですね
(136・137ページ)
これにとどまらず、予想される全ての症状に対して、同様のアプローチをとっていく。まるで『攻殻機動隊』のよう。電脳化と義体化。
- 声帯を切除して声を失ってしまう前に、さまざまなフレーズを肉声で録音して、AI学習とボーカロイドによる自然なコミュニケーションに備える。
- 顔面の筋肉が機能しなくなることによる表情の喪失に備えて、ハリウッドの最新テクノロジーを用いて様々な表情をキャプチャーして、高精度アバターの生成の準備をしておく。
- 移動の自由の喪失に備えて、遠隔コミュニケーションやテレプレゼンスのテクノロジーを取り入れていく

著者は、全人生と全人格を賭けて、人間性の再定義、人間の拡張に挑み続ける。
MND患者に限った話じゃない。
これは、病気や事故、老化によって生じた極度の身体障害を、最先端のテクノロジーで解決しようという挑戦だ。
自由な思考を持っているにもかかわらず、不自由な肉体に囚われてしまった全ての人々に関わる話だ。
そして、もっと強く、もっと立派な、今とは違う自分になりたいと願ったことのある、すべてのティーンエイジャーと大人たちのための戦いなのだ。私たちが目指すのは、”人間である”ことの定義を書き換えることだ。
(100・101ページ)
著者は、MNDに対する医療界、あるいは患者のアプローチが「奇跡の薬」の発明に期待しすぎていると指摘する。奇跡の妙薬がポッと出てくるまで、なすすべはないと皆が考え、諦めている、と。
敗北主義的な態度は医療の現場でしぶとく残っている。多くのチャリティー団体は、相も変わらず”恐怖のMND”と言うイメージを打ち出そうとしている。そうすれば、(幻の)治療法を実現させるために、より多額の寄付金を集められると考えているのかもしれない。
(397ページ)
ただ、そんな雲を掴むような福音を待ってはいられない。そんな薬が発明されたら、それはそれで本当に喜ばしいことだが、待ってはいられない。刻一行と、それこそ毎週1本ずつ動く指が減っていくような中で、そんな悠長なことは言ってられない。テクノロジーと勇気と愛で、そんなルールはぶっ壊すという著者の宣言と歩んできた道のりが、本書には刻まれている。人間としての「在り方」の選択肢を示す。
選択というものは、真剣に比較するに足る代案があって初めて意味を持つ。そうでなければ、それは選択の皮をかぶった単なる決定事項だ。その結果は成り行きまかせということになってしまう。
私は、真の意味で選択肢が存在することを患者に伝えたいのだ。今日、あまりにも大勢の人々が、事実上1つの道しか残されていないと思い込んでいるからだ。(400ページ)
ピーターとフランシスの戦いはまだまだ続くし、本書は今から19年後の2040年までの戦史が綴られている。物理的な肉体を超えてテクノロジーを介して自身を拡張〈ヒューマン2.0〉のさらにその先。詳しくは本書を読んでもらいたいが、化学反応としての生命を超えた〈ヒューマン3.0〉の可能性を、今もピーターは模索し続けている。肉体に囚われているからこその悲劇もあるのだ。
キスとは本来、唇にすべきものだ。MNDの知られざる悲劇は、誰も私の唇にキスしてはならないということだった。咳やくしゃみをするリスクを最小限に抑えなければならないのだ。フランシスも含めて、かれこれ20年以上、私の唇にキスした人間はいない
(444ページ)
MNDとの戦いと並行して、自伝という形で著者のこれまでの歩みも綴られている。同性愛者としてエスタブリッシュメントから指弾されながらも、己の半身であるフランシスを得て、共に歩んできた人生。俺自身は完全なヘテロなので描写として受け入れ難い部分もあったが、それはそれとしても、愛は強いのである。

幸いなことに、真に重要な宇宙の法則は3つしかない。それ以外の全てのルールは枝葉に過ぎない。
- 科学こそ魔法への唯一の道である。
- 人類が偉大なのは、ルールをぶっ壊す存在だから。
- 愛は ー 最終的に ー 全てに勝つ。
(420ページ)
最後は愛だろ、愛。
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